正直に言う。現場で、一生は働きたくない
僕は建設業で、電気工事の仕事をしている。手に職がある、と言われる側の人間だ。
その仕事を否定するつもりはまったくない。誇りもある。でも、正直な気持ちを書くと——この現場で、一生働き続けたいとは思えなかった。
体力仕事だ。歳を取れば取るほど、きつくなる。僕自身、腰には爆弾を抱えている。今はなんとかなっていても、50代、60代になっても同じペースで現場に立っている自分が、どうしても想像できなかった。
「いつか体が動かなくなったら、どうするんだ」
この問いに、僕は答えを持っていなかった。

「ブルーカラーは重宝される」の、本当の意味
こういう話をすると、よく言われる。
「でも、職人は人手不足だから重宝されるでしょ」「手に職があれば食いっぱぐれないよ」と。
確かに、間違ってはいない。建設業界は人が足りない。若い人は入ってこない。だから、できる人間は引っ張りだこだ。仕事はある。これは事実。
でも、現場にいる人間の観点から言わせてもらうと、この「重宝される」は、手放しで喜べる話じゃない。
人が足りないということは、一人あたりの負担が増えるということだ。本来3人でやる仕事を2人で回す。休みたくても、代わりがいないから休めない。納期は変わらないのに、人だけが減っていく。
「重宝される」の正体は、ありがたがられることじゃなくて、便利に使い倒されることだったりする。少なくとも僕の周りでは、人手不足で現場が楽になった話なんて、一度も聞いたことがない。逆だ。人が減るほど、環境はどんどん悪くなっていく。

重宝されるのに、環境は良くならないという矛盾
ここに、僕がずっと感じていた矛盾がある。
需要はある。仕事はなくならない。なのに、働く環境はちっとも良くならない。むしろ、人手不足が進むほど悪化していく。「重宝される」と「大事にされる」は、まったく別の話だったんだ。
このまま現場にしがみついていても、体は確実に消耗していく。需要があるからこそ、休めない。歳を取ったら取ったで、若い頃のようには動けなくなる。——どう転んでも、明るい未来が見えなかった。
だから僕は、「現場の外」に、もう一本の足を作る必要があると思った。

なぜ、よりによってAIだったのか
そこで出会ったのが、AIだった。
「建設業の現場マンが、AI?」と思うかもしれない。僕自身、最初はそう思った。パソコンなんて得意じゃない。プログラミングなんてやったこともない。自分とは縁のない世界だと思っていた。
でも、AIを触ってみて、考えが変わった。
これは、スキルゼロの人間でも、これからの波に乗れる側に行ける手段かもしれない、と。難しい専門知識がなくても、AIに「こうしたい」と伝えれば、形にしてくれる。今までなら専門職にしかできなかったことが、僕みたいな人間にも手が届くようになっていた。
現場で消耗していく未来と、これから伸びていく波に乗る未来。どっちに賭けるかと言われたら、答えははっきりしていた。
手に職はある。でも、それだけじゃ不安だった
誤解しないでほしいんだけど、現場の仕事を捨てるつもりはない。電気工事は今も続けているし、その技術は僕の財産だ。
ただ、「手に職があるから安心」とは、もう思えなくなった。手に職があっても、その職場の環境が悪化していくなら、安心の根拠にはならない。体が資本の仕事は、その体が動かなくなったら終わりだ。
だから、現場の足はそのままに、もう一本、別の足を作る。それがAIを使った副業だった。
これは、現場を知っている人間だからこそ出した結論だと思っている。外から「ブルーカラーは安泰だ」と言う人には、たぶん見えていない景色がある。中にいるからこそ、「このままじゃまずい」と肌で感じた。その感覚を信じて、僕は動くことにした。
派手な成功談じゃない。でも、現場で同じように消耗している誰かに、「もう一本の足を作るって選択肢もあるよ」とだけは、伝えておきたかった。
※この記事は、AI(Claude Code)の助けを借りながら、筆者本人の実体験をもとに書いています。
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